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盛岡方面から国道4号線を南下し、紫波町古館地区を右に曲がりまっすぐ進むと、小高い
丘が見えてきます。この丘が数々の戦乱の駐兵地として歴史に名高い陣ケ岡です。
・ 約1200年前、蝦夷を攻めた坂上田村麻呂の宿営地となり
・ 1051〜1062年源頼義・義家親子が厨川の柵で安倍一族を滅ぼした前九年の役
・ 源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした1189年
・ 1335年からこの地を支配していた斯波氏を南部信直が攻め滅ぼした1588年
以上4回陣ケ岡が駐兵地として歴史に登場するなど中央軍ゆかりの地なそうです。
蜂神社の名前は、前九年の役で頼義・義家父子を勝利に導いた蜂をまつったとも
「八幡太郎義家」の「八」ともいわれているようです。
参道は樹齢200年はある立派な杉木立です。 |
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「皇子森古墳」
第十二代景行天皇の皇子日本武尊が蝦夷
征討の時この地に宿営し、皇子妃が御産し
麓の清水を産湯としたのが高水寺の始まり
とか(この近くには高水寺の地名がある)
王子は三日で崩御しここに奉葬され、以来
歴代支配者の崇敬を受けていたが、殊に
藤原秀衛は神田を奉納されていました。
現在は御産と子育ての神としてこの地の
人達から崇拝されているそうです。
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「月の輪形」の由来
前九年の役に、厨川柵の安倍貞任を攻略
するため、源頼義・義家父子が3万2千の
軍勢を率いここに宿営しました。この時
戦勝を祈願して、三日月堂の蜂神社を奉建し
たまたま9月15日の月夜に、源氏の日月の
旗が古堤に映り金色に輝いたという。
源頼義は「吉兆なり」と喜び、池の中央に太陽
と三日月の中島を造らせたそうです。
未だにその形をとどめています。 |
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ここを管理している人。この堤に水を溜めるのが夢。2千万かかるのでそのために宝くじを買っているそうです |
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この公園の紫陽花。前日ここで「あじさいまつり」がおこなわれたそうです。 |
2003・7・20 |
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