豊臣秀吉政権による一方的な奥州仕置に抗し、わずか五千の兵で上方勢の六万とも十万ともいわれる大軍と
戦った九戸政実。三方を川と断崖に囲まれた要害九戸城でしたが、偽りの和睦により滅ぼされてしまいました。


昭和10(1935)年に国の史跡指定された九戸城は二つの時代が併存していたそうです。
まずは九戸光政の代の頃(1492〜1501)に築城された中世平山城と、九戸城落城後、上方軍によって普請された
本丸・二ノ丸・三ノ丸を加えた近世城郭福岡城です。平成元年(1989)からはじまった九戸城の史跡環境整備事業
によって地上では観察できない九戸城時代の遺構が残っていること等が明らかになっています。