8月6日
   信州と飛騨を結ぶ野麦街道は明治時代、岡谷・諏訪の製糸産業を支えた飛騨の工女たち
   の交通路でした。
   標高1672m、岐阜県と長野県の県境の野麦峠は、飛騨と岡谷・諏訪との峠越えをした
   工女達の 交通の難所でした。
   昭和54年に大竹しのぶ主演で大反響を呼んだ映画、山本茂美の「あゝ野麦峠」。
   飛騨地方の貧農の娘達は徒歩で野麦峠を越え信州の製糸工場へ働きに行き、
   ろくに休みもなく 1日12時間以上の過酷な労働に従事し、病気になって兄に背負われて
   家に帰る途中野麦峠に辿り着いた時「ああ飛騨が見える」と嬉しそうに言って息を引き
   取ったその光景が思い出されました。
   その難所を今は車で数十分で通ることができるのです。
野麦峠から乗鞍岳を望む
   お助け小屋
江戸時代厳しい峠越えにより命を落とす人が
多いことから、小屋を建てて番人を置き峠越
えをする人を救いたいという願いを幕府が
聞き入れ、1814年に建てられました。
現在の小屋は昭和45年に野麦集落の古い
家屋を移築したもので食事や宿泊もできます。
国道19号線に入る
すべて山の中であると島崎藤村に書かれたほど緑が濃い中山道・木曽路です。
かってこの道は伊勢詣、善光寺参りの旅人が行き交い、
参勤交代の大名、正装で身をかためた武士たちが連なり、
俳人芭蕉、子規が季節をうたいながら通り抜けていきました。