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12月31日 |
玄関までの積もった雪を片付け、お正月は雪が降らないことを願いながら12時40分の「はやて」に乗る。
新宿の「センチュリーハイアット東京」にチェックイン。
新宿高島屋でカニ釜飯を食べ、東京駅丸の内口で下車し「東京ミレナリオ」を見る。 |
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ミレナリオとは、イタリア語で千年祭の意味で、東京丸の内の都市空間を舞台に見立て、
人々が夢や喜びとともに出会い・触れ合う「東京の新しい祝祭」として、1999年から開催されています。
今年で7回目ですが、東京駅の改修のため2006年以降の開催は休止するそうで、丸の内口から会場まで
30分程かかりましたし、写真を撮るために立ち止まらないで下さいと急かされながらの見物でした。 |
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幻想的な光の作品を見たあと、新宿駅前で「年越しそば」を食べ、ホテルへ。 |
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このホテルは11年前に息子の結納を行ったところです。 |
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1月1日
朝食はお屠蘇、お雑煮、おせち
話題のスポットが続々登場している汐留シオサイト・品川を少し見て、品川駅より新幹線で三島へ。
三島駅より伊豆箱根鉄道で35分修善寺へ。 東海バスにて修善寺口より30分吉奈温泉東府屋旅館へ。
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吉奈温泉は奈良時代に発見された温泉で、この東府屋旅館は「駿府の東にある館」家康公の愛妾お万の方が
逗留した湯の里で、しっとりとした純和風造りの建物です。また文人の愛した宿で多くの文士が訪れていて、
志賀直哉、瀧井孝作、阿川弘之等はご夫妻で毎年来館されていたそうです。 |
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朝食のお屠蘇とおせち |
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 天城山中でとらえた本物の猪を使った
猪鍋は肉も軟らかく味噌味で美味でした |
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1月2日
旅館の車で吉奈口まで送ってもらい、定期バスで15分天城の定番スポット「浄蓮の滝」へ |
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天城連山のなかには数多くの滝がありますが、
その中の名曝「浄蓮の滝」は幅7m高さ25m
原始林に囲まれ堂々と玄武岩から流れ落ちている。
断崖と峡谷で人が近づけない所でしたが、滝に下りる
路は明治末期、湯ヶ島篤志家個人によって拓かれ
200段の石の階段で降りていけます。
滝つぼの深さ15mで、名前は滝の左岸山中にあった
浄蓮寺に由来するそうです。
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石川さゆりの「天城越え」
に登場することで多くの人
に知られ親しまれるように
なり、記念碑もあります。
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浄蓮の滝より定期バスで川端康成の小説「伊豆の踊子」の舞台となった天城路を走って40分河津桜で有名な河津へ |
途中、河津七滝ループ橋を通る。
総延長1.1Km、高さ45m、直径80mの巨大な2重ループ橋
(道の高低差を2重のラセンで継いだ高架橋)
昭和56年に開通した東日本唯一のものなそうです。
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河津で伊豆急行に乗り換え黒船来航の町として知られる下田へ。駅前で昼食にまぐろ丼を食べる。 |
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1854年黒船がやってきて、開国の舞台となった下田。
下は伊豆急下田駅。南伊豆・西伊豆の玄関口で後ろに見えるのが下田富士。
1636年御番所として江戸に出入りする船はかならず下田港によって取り調べをうけることになっていた。
このころは特に江戸を出て行く女や子供と、江戸に入る武器の取締りがきびしかったそうです。
下田港は「海の関所」の役目をしていましたが、その後下田港の出入り口がせまく
危険だということで浦賀に移されるまで百年間栄えたようです。 |
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1854年ペリー艦隊が下田を去って4ヶ月後、
ロシアのプチャーチン提督が皇帝ニコライ一世の
命令で来航し、下田の長楽寺で
日露和親条約を締結しました。
花壇の中にこの看板がたっていました。 |
米国総領事ハリスに仕え、
悲運の人として語られる唐人お吉
の墓がある宝福寺と記念館。 |
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下田駅より伊豆急で熱海→東海道線で三島→伊豆箱根鉄道で伊豆長岡→バスでホテル天坊へ |
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