盛岡駅から北東に7km,三陸沿岸から貴重な塩を城下に運ぶ「塩の道」沿いに発展した山岸です。紅葉が丘、洞清水、中津川などニュータウン開発が続き、中津川沿いから小高い丘の中腹まで住宅が連なっています。
中央公民館
藩政時代に、城内で用いる薬草を栽培していた御薬園があった場所で、江戸後期には藩学校が置かれ、明治41年旧藩主の南部家別邸として復活し、戦後盛岡市に移管され、現在は市の中央公民館として盛岡の文化と歴史を伝えています「塩の道」野田街道
閉伊地方から海産物や塩を牛の背中に乗せて盛岡城下に運ぶ重要な陸路で、特に生活に欠かせない重要な塩を運ぶルートだったことから「塩の道」野田街道といわれた。白百合学園
幼稚園から高等学校までのミッションスクールで県内随一の名門私立女子校我が家へようこそ