5月4日 |
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会津西街道「大内宿」 会津若松と栃木県今市を結ぶ道が会津西街道です。
江戸の初期に整備され、会津城下から今市を経由し、日光街道を通って江戸に出る最短路として、参勤交代の大名行列、
物資輸送、旅人に利用されていました。明治17年に現在の国道121号線が開通し、宿場として栄えた大内宿は
忘れ去られてしまいましたが、かえってそのことが幸いし、平成になって新道が付けられ
現代の私達に江戸の風景をそのまま見せてくれるようになったのです。 |
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大内宿本陣跡に復元された街並み展示館の二階から見た江戸時代の街並み |
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岩魚の串焼と味噌だれの串焼団子を食べながら一休みする客で大賑わい。 |
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喜多方はかって「北方」と呼ばれ、江戸時代には物資の集散地として、また若松城下と米沢を結ぶ街道のまちとして
栄えたそうです。また喜多方にはいまも白亜や黒漆喰、レンガ造りなど2,600棟以上の蔵が残っているそうです。
ラーメンを食べるために来て見ました。
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観光馬車 |
「老麺会まっぷ」を片手に大勢の人達が
ラーメン屋の前に並んでいます。 |
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喜多方蔵の里 |
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会津藩の武家屋敷は、戊辰戦争で殆どが武具、家財と共に焼失した。この屋敷には二年余の歳月をかけて追手門前に
あった家老西郷頼母邸を復元したものを中心とし、武家文化にかかわる建物が建ち並ぶ。家老屋敷はけやき・ひのき・杉材を
使用した和様建築の豪華壮大な造りとなっており、敷地面積2,400坪、建築面積280坪、畳の数は328枚にも及ぶ広大なもの
(パンフレットより) |
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磐梯熱海温泉は
福島県の中心地点にあり
郡山市の奥座敷ともいわれる。
そこの萩姫の湯栄楽館 |
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連休のイベントとして行われていた「ふくしま昔ばなし」と「くじ引き」の風景 |
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